大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所川崎支部 昭和55年(わ)632号 判決 1984年4月25日

本籍《省略》

住居《省略》

無職

一柳展也

昭和三五年八月一〇日生

右の者に対する殺人被告事件につき、当裁判所は、検察官川野辺充子出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。

押収してある金属製野球バット一本を没収する。

理由

(被告人の経歴及び犯行前の生活状況)

被告人は、東京都大田区において、旭硝子株式会社に勤務する父幹夫(昭和九年三月四日生)及び母千恵子(同年四月二日生)の二男として出生し、昭和五一年三月、港区立青山中学校を卒業したが、高校進学に当たっては、兄栄作の通っていた早稲田大学高等学院か他の有名私立大学付属高校への入学を強く希望していたものの、入試にいずれも失敗したため、新宿区内の私立海城学園高校に入学し、そのころ、父幹夫が新築した肩書住居地(当時高津区)の自宅から通学を始めたが、右高校入学後間もなく、希望校に進学できなかった挫折感・屈辱感、新しい学校で親しい友人のいない孤独感、遠距離通学による疲労、更には同高校をあなどる気持などもあって勉学意欲を失ったため、同年六月の中間テストにおいて二科目も落第点を取り、そのことで両親から叱責されるや、これに反発し、かつ自分でも生活に嫌気がさして、一週間家出をし、その後、高校生活に馴れたけれども、勉強には身が入らない生活を送り、高校三年生になるや、学業成績は上昇する気配を見せたものの、昭和五四年春の大学入試に際しては、早稲田大学、明治大学などを受験したところ、全て不合格となったため、父からは、「お前はたるんでいる。」などと小言を言われたが、兄栄作が在学している早稲田大学に入学することを強く希望して、半ば当然のように浪人することとした。

そして、被告人は、同年四月から早稲田学院予備校に通学したが、やはり勉強には身が入らず、予備校での成績が振るわぬまま、昭和五五年春には、早稲田大学をはじめ日本大学などを受験したところ、再び全て不合格であったため、父より、「お前、こんな大学を落っこってどうするんだ。箸にも棒にもかからないじゃないか。お前やる気があったのか。もう大学受験を止めた方がいいんじゃないか。」などと厳しく叱責され、就職することを勧められたが、このまま就職するといっても不安でどうして良いか解らず、結局、母や兄の助言により、一年限りという父との約束で、再度浪人して大学を目指すこととし、二浪するに当たっては、真面目に勉強しようと考えて、出欠の厳しい一橋学院予備校に入学し、同年七月ころまでは意欲的に勉強したものの、中学・高校時代の基礎的な学力が不足していたため、思うように成績が上がらず、これでは来年も早稲田大学には到底受かりそうにもないと考えるや、またもや勉強に意欲を失い、同年九月ころからは予備校の授業にも欠席勝ちとなり、同年一一月に入ってからは僅か一日出席したのみで、予備校に行くふりをして外出しては映画やパチンコ等で遊興するか、自室で無為に過ごす日々を送るようになっていった。

その間、被告人は、そろそろ受験校を決めなくてはならないのに、自分の実力ではかなり程度の低い大学でなければ受からないであろうと考える一方、そのような大学の名前は、いわゆる有名・一流大学以外は行く価値がないとの考えを持っていると感じていた父にはとても言い出せず、また、自分の周囲には、父が東京大学、兄が早稲田大学を各卒業しているほか親族にも一流・有名大学出身者が多いことから、自分もかような一族の一員として、社会的評価の低い大学には恥ずかしくて入れないという気負いがあって煩悶し、更には、自分も父のように一流大学出身で一流企業就職という道を歩みたいと考えていたものの、二浪となって以来、いわゆるエリートコースからはずれていく自身に対し、みじめな気持になるとともに、周囲への引け目から孤独感も募って、不安定な心理状態にあり、心理的圧迫感を抱いていたが、悩みを打ち明ける親しい友人もいないため、前記のような怠惰な日々をなす術もなく送っていた。

ところで、被告人は、両親に対しては、かねて敬愛の情を持って接していたが、昭和五三年ころから、父が母に対してことさらに無視する等の不可解な態度をとるようになったので、父に無視されて辛そうな母を憐れに思う一方、前記各受験に失敗して父から叱責された時などには、父に対して、「父親の責任も満足に果していないのに偉そうなことを言うな。」などと心の底で反発するなど、日ごろから反感を抱くようになっていたが、昭和五五年一一月ころには両親の夫婦仲も好転しつつあった。

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、浪人生活中、小遣い銭として、母から毎月五〇〇〇円、兄からときどき三〇〇〇円位をもらっていたが、小遣いの足しにするため、昭和五五年七月三日ころと同年一一月五日ころ、父が自宅階下の居間のテレビの上に置いていた定期券入れから無断で父名義のキャッシュカード(三菱銀行五反田支店発行、三菱クイックカード・ローン用。)を抜き取り、これを使用して一万円づつ三回にわたって銀行から引き出し、費消したことがあり、更に、同月二六日未明にも右キャッシュカードを抜き取り、同日午前中に銀行から一万円を引き出してウイスキーなどを購入したが、右カードを戻そうとしたところ、父の定期券入れが見当たらなかったため、そのまま二階の自室に隠していたところ、同月二八日午後一一時三〇分ころ、ゴルフから帰宅した父に呼びつけられ、階下居間において、両親と対座するや、父から、「キャッシュカードがなくなった。お前だろう。財布からちょくちょく金がなくなっているが、それもお前だろう。」と詰問されたので、キャッシュカードの件は認めたものの、現金は取っていないと否定したところ、父からは、これを黙殺され、母からは、「ふざけている時でないでしょう。あんた以外誰が取るの。」などと畳み掛けるような調子で叱責され、父だけでなく母も現金を取ったと疑っている態度であったので、自分の仕業でないことを信じてもらおうと考え、「本当にお金の方は知らないよ。」と弁解したけれども、両親に信用してもらえず、かえって、母から、「そんな言い訳が通るわけないでしょう。」と感情的な大声で叱責されたので、少くとも母は自分のことを信じてくれていたのに全く信用してくれないと思って、父母の双方に対して反感の気持がわいて立腹したが、父に持って来いと言われて前記キャッシュカードを父に返却したところ、更に、父からは、普段よりも大声で、「俺は泥棒なんか育てた覚えはない。大学なんか止めちまえ。」と怒鳴りつけられ、なおも、「本当に知らないよ。」と弁解するのに、両親とも聞き入れてくれないばかりか、加えて母から、「あんたには呆れたわ。」などと愛想尽かしのような言い方で叱責されるに至った。

そこで、被告人は、キャッシュカードの件は確かに自分に非があるものの、身に覚えのない現金の盗難まで父母が一緒になって自分を疑い弁解に全く耳を貸さず、しかも、以前父が被告人を説教する時には母はむしろ自分を庇ってくれていたのに、今回はその母が父に同調して、両親揃って自分を責めたてると考えて釈然とせず、父ばかりでなく母に対しても反感や憤りの気持を抱いて二階の自室に戻ったが、間もなく、小用で階下に降りた際、母から呼び止められ、階下食堂において、「あんたどうしょうもないわね。パパは相当怒っているわよ。どういうつもりなのよ。」「あんたには呆れたわ。」などと再び小言を言われたけれども、口答えをすると父に聞かれて再び説教されると思い、黙って聞いたが、両親に対する反感や憤激の気持が強くなり、再び自室に戻るや、気分を紛らわすために、椅子に腰掛けてポケットびん入りのウイスキーをラッパ飲みし始めたところ、父が思いがけず姿を現わし、右ウイスキーを見つけるや、「酒など飲んで何事か。」と怒鳴りつけるとともに、被告人の右横腹を右足で強く蹴りつけたため、椅子ごと傍らのマットレス上に倒れ落ちたが、内心「蹴るまでのことはないだろう。」と思いながら、椅子を起こして不貞腐れた様子で坐り直すと、父においては、更に強い口調で、「ふざけるな。何だその態度は。お前は普段からなっとらんのだ。」「明日出て行け。」と怒鳴りつけ、戸を荒々しく閉めて部屋を去って行った。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年一一月二九日午前零時ころ、川崎市宮前区(当時高津区)《番地省略》の自宅の自室において、父が去ったあと一人で椅子に腰掛けたまま、キャッシュカードの盗取の件で両親から厳しく叱責されたうえ、身に覚えのない現金の盗難についてまで疑われて自分の弁解を全く聞き入れて貰えなかったこと、例になく母からも信用されずに父と一緒になって執拗に叱責されたこと、しかも被告人の部屋に滅多に顔を出さない父から近年体罰らしきものは加えられたこともないのに足蹴りにされたことなどを思い浮べているうち、両親が自分に対し寄ってたかって不当かつ理不尽に疑い叱責すると考えたうえに、父が「明日出て行け。」と言ったのは冗談ではなく確実に追い出されるものと感じ、二浪中で情ない身分の自分に対して余りにも冷たい仕打であると恨めしく思うとともに、父がここ数年来母に対してとっていた冷淡な態度を思い起こし、父は夫として父としてその責任を十分に果してもいないのに、かようなことを言う資格があるのかという反発心も加わって、ますます両親に対する反感や憤懣の気持が強くなり、そのうっ憤を紛らわすために、再びポケットびん入りのウイスキーを飲み始めたが、次第に両親に対する憎悪の気持も生じ、約二時間余にわたってウイスキーをラッパ飲みにしたり、煙草を吸ったりしながら、「二人揃って偉そうなことを言うな。」「馬鹿野郎、ふざけるんじゃあねえ。」「出て行けと言ったって行くとこねえじゃねえか。」などと、両親への憎まれ口を叩いているうち、更に両親に対する憤懣や憎悪の気持が募り、同日午前二時三〇分ころになるや、もともと前記のような二浪中の不安定な心理状態にあり心理的圧迫感を抱いていたうえに、酒に酔った勢いも加わって、両親への憤懣や憎悪の情がいよいよ抑え難くなり、かくなるうえはいっそ父も母も殺してやろうという気持になり、もはや兄が帰宅することはあり得ない時刻で両親も既に眠ったであろうと考え、自室の壁に立ててあった金属製野球バット(以下、金属バットという。)を見るや、これで就寝中の両親を殴って殺害しようと決意し、直ちに自室で、パジャマの上下を脱いで、上半身はランニングシャツに、下半身はジーパンに着替えたのち、金属バットを持って階下に降り、洗面所でゴム手袋を両手にはめたうえ、

第一  まず、階下六畳間に就寝中の父一柳幹夫(当時四六歳)を殺害すべく、同人に気づかれないように同間前廊下の電灯を点けてから同間に入り、前記金属バットで仰向けに寝ている同人の前額部を一回強打し、同人が呻き声を発するや、掛布団を同人の頭にかぶせて再度強打したが、それでは打撃が弱いと考えて掛布団を取り除いたうえ、同人の右前頭部、顔面を数回強打し、よって、そのころ、同所において、同人を前頭部、前額部の挫裂創、頭蓋骨内蓋部及び頭蓋底の粉砕骨折を伴う脳挫滅により即死させて殺害し、

第二  更に続いて、同八畳間に就寝中の母千恵子(当時四六歳)を殺害すべく、同女に気づかれないように隣の居間の電灯を点けてから右八畳間に入り、前記金属バットで、仰向けに寝ている同女の顔面等を数回強打し、よって、そのころ、同所において、同女を顔面挫裂創、頭蓋骨内蓋部及び頭蓋底の粉砕骨折を伴う脳挫滅により即死させて殺害し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

一  刑事責任能力について

まず、弁護人は、「被告人は、本件犯行当時心神喪失又は心神耗弱の状態にあった。」旨主張するので、この点について判断する。

(一)  本件は、判示のとおり、浪人中の被告人が、両親より厳しく叱責されるなどしたとはいえ、就寝中の両親を金属バットで殴り殺すという極めて稀有な凶悪かつ重大な事件であるため、犯行当時の被告人の精神状態は果して正常であったのだろうかとの疑問が生ずるところ、《証拠省略》によれば、被告人は、高校一年生(一五歳)の時の家出を境として、性格が大きく変化し、それまで明るく活発でお茶目な子が暗く、無気力、無感動、不活発になり、数か月して徐々に顔に表情が現われて冗談も言うようになったこと、また、被告人は、本件犯行の直前に約二時間余にわたってウイスキー約三二〇ミリリットルを飲み酩酊していたことが認められるので、被告人は、精神病に罹患していたのではないか、更には、病的酩酊又は複雑酩酊の状態にあったのではないかなどが問題となる。

そこで、これらの点を含め犯行当時の被告人の精神状態についての医師の見解をみると、前掲各証拠によれば、

(1) 捜査段階で検察官より被告人の精神診断を委嘱された医師徳井達司は、「被告人は、本件犯行当時も現在も精神病状態ではなく、また、犯行の動機、犯行の経過を継時的に述べることができるので、病的酩酊は否定できる。」「被告人は、もともと自己中心的で未熟であり、情性の乏しさは高度の人間感情の発達を妨げている。また、情性の及ばなさは認識への組込みを欠くこととなり、思考も公式的表面的傾向を示している。従って、情動の生起に対して調整が働らかず、単調で直接的な反応につながる傾向が認められている。被告人のこのような人格に対して、両親に自分の悪が露見し、激しく叱責され、これが、父から足で倒される事態まで加算され、更に飲酒による除制止が加わることによって、遂に情動による行動化の流出に至ったものと推察される。」との見解を述べていること、

(2) 当裁判所より被告人の精神鑑定を命ぜられた鑑定人医師福島章は、「被告人の現在の精神状態は、知能は平均以上ながら、感情と意志の領域に著明な偏りを持つ青年で、一五歳前後に精神分裂病(単一型)の一過性の病相期を経過し、現在は軽度の欠陥状態にある。被告人の本件犯行当時の精神状態は、右現在の精神状態に加えて、数年間にわたる浪人生活や両親間の葛藤による心理的ストレスが持続しており、さらに事件直前の両親の叱責など強い情動的刺戟がひきがねとなり、飲酒酩酊による情動の亢進と抑制能力の低下が加重した状態にあった。これらの諸要因の加重の結果、被告人が自己の行為の是非善悪の別を弁識する能力及び右弁識に従って行為を制御する能力は著しく低下していたと判断される。」「被告人は、行為の経過に対する記憶が詳細・正確であることなどからみて、本件犯行当時、病的酩酊や複雑酩酊ではなく、単純酩酊の状態にあったとみられる。」との見解を述べていること、

(3) 予備校生の精神衛生相談を行っている医師矢花芙美子は、弁護人より提示された捜査段階での被告人の供述調書などを検討したうえ、証人として、「近年、予備校生の中には、自分が無気力症(無気力状態)と呼んでいる者が多数現われている。この状態にある者は、現実認識とか自己認識が漠然としていて、周囲の状況を具体的に把握することができないし、少し把握したとしても自己中心的であり、不安、攻撃性、荒廃感がうっ積しているにも拘らず、本人はそれに気付かず、そのため、ちょっとしたストレスで短絡的、衝動的な行動に走りやすい。暴発行動としては、家庭内暴力、放火、万引、自殺などがある。被告人は、無気力症の状態にあり、そのうえ二浪していることによる挫折感、孤独感、父母の不和、一一月という時期などから、本人も気付かない相当強いストレスが存在していたところに、父母の強い叱責、母の過同調、父からの初めての暴力などが重なったため、暴発行為として本件犯行に及んだものとみられる。」との見解を述べていること、

(4) 「いのちの電話」の主宰者で青少年の精神問題に取組んでいる医師稲村博は、同様に被告人の供述調書などを検討したうえ、証人として、「近年、青少年には従来の精神医学の体系の中で位置付けられないような類の精神障害が多数現われており、自分は、仮りに新症候群又は挫折症候群と呼んでいるが(証言後の著書によると、思春期挫折症候群。)、この状態にある者は、神経症様症状として怒りっぽいとか不安があるなどの症状のほか、逸脱行動、思考障害、意欲障害及び退行の各症状を示す。この新症候群に陥っている者の病理が外に表われたものが問題行動で、家庭内暴力、登校拒否、家出、盗み、自殺などがあり、その契機となるものは、親が強く叱るとか、小遣いや生活の仕方を規制するとかいうようなものであって、常識では何故こうした行動をするのか理解できないようなことである。そして、暴力が行われているときは、本人は殆んど自己抑制力を持たず、暴力の限りを尽す。被告人は、この新症候群といわれる精神障害に陥っていたのであって、これに両親の叱責、父の体罰などの刺戟が何重にも重なり、更に飲酒により自己抑制力が弱められたため、本件犯行に及んだものとみられる。」との見解を述べていること

が認められる。

右各医師の見解をみると、本件犯行当時被告人が病的酩酊や複雑酩酊の状態になかったことは、医師徳井達司及び同福島章とも一致しており、被告人が単純(普通)酩酊の状態にあったことは明らかであるが、被告人が精神病に罹患していたか否か、また罹患していたとして如何なる精神病であるかについては、各医師の見解が分れていていわば四者四様であり、それぞれ他者の見解への疑問点を指摘している。ただ、ここでは、被告人が精神病に罹患していたとみられるか否かが問題であるから、精神病とみている見解について、以下、前記各医師の見解を含む関係各証拠に基づいて検討する。

まず、精神分裂病の病相期を経過したとの見解についてみると、前記精神状態鑑定書においては、「被告人は、(一五歳)当時も現在も精神分裂病の中軸病状の一つである思考障害も、同病の辺縁症状も認め難い。しかし、一五歳当時の家出行動の唐突さ、その後の性格変化及び成績の低下並びに現在の性格の偏りには精神分裂病の残遺症状として理解できる点が多いことから考えて、当時精神分裂病を経過した疑いが強い。」との判断方法を示しているところ、また他方では、「(家出後の性格が変化した)当時、周囲の者からは被告人が病気とか異常とか見なされたことはなく、当時の性格変化は単なる思春期における性格の生理的組替えの可能性もある。また、被告人の現在の異常性は、心理テスト等で初めてその存在が証明される程の軽度なものに止まる。」とも指摘しているのであって、これに、精神分裂病の中軸症状の一つである思考障害が被告人にあったとは認め難いので同病であるとの診断はなしえないのではないかと考えられること、更に、被告人の家出は、先に判示したように一応常識的に理解されうる原因・動機に基づいており、これを目して病的行動とみるのは妥当といえないのではないかと考えられることなどからして、精神分裂病の既往があると断定してよいか疑問を抱かざるを得ない。

次に、無気力症とか新症候群という見解についてみると、これらが精神病といえるものかどうか、従来の分類概念からみて全く新しい病気といえるものかどうかなどの点で疑問があるばかりでなく、被告人は、本件犯行まで両親に対して暴力を振ったり反抗したことはなかったのであって、近年問題となっている家庭内暴力とは異っており本件の際も、被告人は、両親に叱責されたり体罰を受けてすぐに暴力に出たのではないのであって、二時間余りも飲酒しながら悶々としたのちに本件犯行に及んだのであり、果してこれらの症状に該当するのかも疑問である。

以上、いずれにしても、被告人が精神病に罹患していたと断定することはできないと言うべきである。

(二)  ところで、《証拠省略》によれば、被告人は、知能は秀れているものの、人格的には未熟で、思考の固執性と自己中心性とが認められ、かつ情動が刺戟され易く、情動が生起すると認識機能が著しく妨害され、訳が解らなくなってしまう傾向があることなどが認められる。このような被告人が、判示のとおり、二浪中の不安定な心理状態にあり心理的圧迫感を抱いていたうえ、本件犯行前、例にない態様で両親から叱責を受け、更に飲酒したのであるから、本件犯行当時、被告人の判断能力等が影響を受けていたであろうことは容易に推測しうるところである。しかしながら、被告人の精神状態が刑法第三九条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であり、更に本件犯行の動機並びに犯行前、犯行時及び犯行後の被告人の行動等を検討して判断しなければならない。

そこで、まず、本件犯行の動機についてみると、先に判示したとおり、二浪中で不安定な心理状態にあり心理的圧迫感を抱いていた被告人が、父のキャッシュカードを盗んで金を引き出していたことが露見して両親から叱責され、その際、いつもはむしろ自分の味方をしてくれていた母までが父と一緒になって執拗に叱責し、かつ身に覚えのない現金の盗難についてまで疑われて、両親に対して反感や憤りの気持を抱き、ウイスキーで気分を紛らわそうとしていたところへ、父が来て怒鳴りつけられるとともに足蹴りにされて、「明日出て行け。」と言われたため、両親に対する反感や憤懣の気持が強くなり、それを紛らわすため再びウイスキーを飲んでいるうちに両親に対する憎悪の気持も生じ、ついには、酒に酔った勢も加わって、両親への憤懣や憎悪の情を抑え難くなり、これを晴らすために両親の殺害を決意したというものであって、これは、偶発的・激情犯的な本件犯行の動機として了解可能と言うべきである。

次に、犯行前及び犯行時の行動をみると、判示のように、被告人は、もはや兄が帰宅する可能性のない時刻であることなどに思いを致し、自らは活動しやすいようにと着替えをし、両手にはゴム手袋をはめて身仕度を整え、両親の各部屋へ入るに当たっては、眠っている父や母に気づかれないようにと考えて、わざわざ手前の廊下や隣室の灯りを点けて行くなど冷静に犯行の準備をしているのである。そして、犯行態様にも奇異とか不合理な点は全くないばかりか、被告人は、父に対しては、父が呻き声を発したため父の頭部に掛布団をかけたが、それでは打撃が弱いと考え直して掛布団をめくって更に殴りつけたというのであって、自己の攻撃の効果をいわば計算する余裕をすら示しているのであって、ただ単に機械の如く行動したのではなく、目的や意識を持って行動しているのである。

更に、犯行後の行動をみると、《証拠省略》によれば、被告人は、犯行後直ちに金属バットやゴム手袋に付着した血を洗い落とし、続いて自己の犯行を隠蔽するために強盗を偽装することを思い立ち、納戸部屋のたんす等を物色したが、その際、物色箇所に自己の指紋ばかり付いていては不自然と考えてゴム手袋をしたまま行動し、小説か何かで得た知識の泥棒のやり方というのを真似してたんすの引き出しを下段から開ける方法をとり、また、預金通帳に関しては、強盗犯人が印鑑が見つからないので一旦とった通帳を盗むのを諦めたように見せかけるべく通帳全部を放り出しておくなど巧妙な方法を続々と考えめぐらせて偽装を施したこと、その後、被告人は、再度ゴム手袋と金属バットを洗い、ゴム手袋を元あった洗面所に戻して自室に戻るや、血の付いた衣類を脱いで隠し、次いで金属バットも押入れの天袋に隠したこと、そして、被告人は、朝になったらどうしようかと考え、自分が第一発見者を装って強盗に入られたように警察に話すことに決め、自分の行動を聴かれることを予測して、前夜母宛に午前七時に起こしてくれるようメモを書いておいたことを思い出すや、これと矛盾しないように、九時ころ目が覚めたことにして警察に通報することとし、通報するについては、隣家にかけ込んで隣人から通報してもらった方が真実味が出ると考え、午前九時になるのを待ち構えて隣家にかけ込んだことなどが認められるのである。かように、被告人の犯行後の行動は、冷静、沈着そのものであって、合理的な思考方法を遺憾なく発揮しているとさえ言い得る。

加えて、前掲各証拠によれば、被告人は、本件犯行に至る経緯を始め、以上の犯行前、犯行時及び犯行後の状況及び自己の心情等について、全く記憶の欠落がなく、いずれも捜査段階において詳細かつ自然に供述していることが明らかである。

以上検討してきた点を総合して考察すれば、被告人が本件犯行当時是非善悪を弁識する能力及びこの弁識に従って行動する能力を相当減弱していたことは否定できないが、右各能力のいずれをも著しく減弱していたとは到底言い得ないので、被告人は、刑法上の心神喪失はもちろん、心神耗弱の状態にもなかったことが明らかである。

よって、弁弁護人の前記主張は、採用できないのである。

二  自首について

次に、弁護人は、「被告人は、本件犯行につき、叔母斉藤晃子、伯母松田節子及び兄一柳栄作を介して警察官に申告したのであるから、これは自首に該当する。」旨主張するのでこの点について判断する。

刑法第四二条第一項にいう自首は、犯人が他人を介して申告することを妨げるものではないが、その場合においても、犯人が自発的に自己の犯罪事実を捜査機関に申告してその訴追を求める意思を有していることを必要とすると解せられるところ、関係各証拠を総合すれば、本件犯行日の翌日である昭和五五年一一月三〇日午前一〇時三〇分ころ、当時被告人が身を寄せていた松田節子方へ、警察官が再度被告人を取調べたいと電話で申し入れてきたことから、叔母斉藤晃子が不審に思って被告人に対し、「展君、あんたがやったんじゃないわよね。」と問いかけたところ、被告人は、「もう解っているんでしょう。」と言って否定しなかったため、右斉藤は、被告人の犯行と悟り、これを姉松田節子に伝え、驚いた同女が直ちに警察官に連絡しようと折柄現場検証中の一柳家に電話をして被告人の兄栄作に伝言し、同人からその経緯が現場に居合わせた警察官に通報されたというのであって、被告人は、当公判廷において、その時叔母らが自分の言葉により直ちに警察に通報するであろうことははっきり解っていたと供述するが、これは、たとえ叔母らによって警察に通報されても構わない、仕方がないといういわば放任的な態度であって、これをもって自己の犯罪事実を自発的に捜査機関に申告する意思があったものと評価することはできない。従って、その余の点につき検討するまでもなく、本件が自首に該当しないことは明らかである。

よって、弁護人の前記主張も、採用できないのである。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法第一九九条に該当するところ、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一三年に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入することとし、押収してある金属製野球バット一本は判示各殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、社会的にも経済的にも恵まれた平穏な家庭において、大学受験浪人中の被告人が、深夜自己の両親を、その就寝中に、次々と金属バットで頭部を滅多打ちにして殺害したというものであって、誠に世人をしてその人心を寒からしめ、かつその目を覆わしめる如き悲惨で重大な事犯であり、社会に及ぼした影響も大きな事件である。

そこで、本件の犯情を考察するに、まず、本件犯行の動機についてみると、既に判示したように、当時二浪中で不安定な心理状態にあり心理的圧迫感を抱いていた被告人が、父のキャッシュカードを盗んだ件で両親から厳しく叱責され、その際、身に覚えのない現金盗難についてまで疑われ、そのうえ父から飲酒を咎められて足蹴りにされるという屈辱的な体罰を受けたことから、両親に対する憤懣や憎悪の情を募らせ、酒に酔った勢も加わって激情的に両親の殺害を思い立ち、直ちに実行に及んだというものであって、右現金の盗難についてみれば、被告人を疑うなどした両親の態度に対する被告人の不条理感は理解できないではないものの、キャッシュカードの盗みや飲酒については、被告人に非があることは明白で、日ごろの被告告人の怠惰な生活態度を考え併せるとき、判示のような両親の態度もあながち非難することはできない。なる程、被告人の父は、順調なコースを辿って来ており、被告人からみて、大学受験に失敗したいわば敗者的な立場にある被告人への理解とか思いやりにいささか欠けるように見える点があったといえるかも知れないが、それとて、父親として被告人へ注ぐ愛情に何らのかげりをもたらしたものではなく、被告人のことを深く気遣い親としての情愛を注いでいたのである。また、母は、明るい包容力のある人柄で、かねて被告人の心情を理解しようと努めるなど正に被告人の最上の理解者たり得べき存在であったのである。しかるに、被告人は、受験校決定について悩みを抱いても、両親や実兄に助言を求めることもせず、ただ無為に日を送っていたもので、浪人生活から生じた心理的圧迫感なるものも、専ら被告人の生活態度から生じた面が大きく、さして同情すべき事情には当たらないと言わなければならない。

従って、本件犯行の動機には被告人にさほど酌むべき事情はなく、かえって、被告人が、両親より叱責されたのに、自省することなく、両親に対する憤懣と憎悪の情を募らせたためという甚だ短絡的・自己中心的なものと評せざるを得ない。

次に、本件犯行の態様をみると、既に判示したように、被告人は、両親殺害を決意するや、逡巡することなく、身仕度を整えたうえで終始冷静に行動し、確定的殺意のもとに、就寝中の両親を、まず父、そして母と、各々その頭部などを金属バットで何回も強打したというもので、殺害方法そのものをとっても残忍極まりないうえに、自己を産み育てた親を二人とも殺害するに当たり何らためらいを見せず、父を殺害した後すぐ母を殺害すべく行動していることは極めて冷酷・非情と言うほかない。また、被告人は、本件各犯行後直ちに周到かつ巧妙な証拠隠滅工作や偽装工作を考えついて、これを実行しているのであって、これも、大胆不敵な所業と言わざるを得ない。

更に、本件各犯行の結果をみると、被告人の両親は、社会的にも有用の地位にあり、堅実な家庭を作りかつ一柳家の要であったのに、人生の未だ盛りで、我が子の手にかかり無残にも撲殺されるという誰しも予想だにしなかった無念な最期を遂げたものであり、それが、一時疎遠になっていた夫婦仲が好転しつつあった折で、しかも結婚二四年目の記念日であったことにも思いを至すと、本件犯行の結果は、まことに重大であり、かつあまりにも悲惨であると言うほかない。また、被告人の兄は、たまたま外泊した夜に本件犯行のため両親を失い、平穏な家庭を一挙に破壊されたもので、同人は、当公判廷において依然として、「被告人には死んで欲しい。」と述べるなど、同人の被告人に対する被害感情にはいまだ厳しいものがある。

以上の諸点に鑑みれば、被告人の刑事責任は、極めて重大であると言わなければならない。

しかしながら翻ってみるに、被告人は、本件に至るまで前科・前歴・非行歴等が全くなく、当時二〇歳三か月の青年であって、成人に達して間がなかったため、社会的経験に乏しく、精神的な未熟さがあったことは否めないこと、本件は、被告人の性格がもともと未熟で情動が刺戟され易いうえ、二浪中の不安定な心理状態にあり心理的圧迫感を抱いていたところに、両親の叱責等に刺戟されたばかりか、酒に酔った勢も加わって激情にかられて敢行したものであり、本件犯行当時、被告人が是非善悪を弁識する能力又はこの弁識に従って行動する能力を著しく減弱していたとは言えないとしても、これらの能力を相当減弱した状態で犯した偶発的な犯行と言えるのであって、かねてから両親に恨みをもっての謀殺的な犯行ではないこと、被告人は、逮捕された後は素直に犯行を認め詳細に供述しており、自己の手により両親殺害という重大な結果を惹起したことを反省悔悟し、両親に対して心から謝罪する気持を持ち続けていることが窺えるのであって、被告人には今後の教育・更生に期待するところもなしとせず、その更生には、被告人の伯母ら親族の支援があること、その他、被告人が未だ春秋に富む若者であることなど諸般の情状を十分考慮したうえ、刑法上の責任としては、被告人を主文の刑に処するのが相当であると思料した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竪山眞一 裁判官 大原英雄 裁判官 池本壽美子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例